先祖と精霊たちから、特別な力を授かるための儀式

更新日:2018年6月2日



僕の太鼓の先生であり、ケニアの父であるムゼーマテラ師が病気で死の淵に或ることを知らされたのは去年の11月、ちょうどジャクソンツアーも終わりにさしかかっていた時だ。マテラ師の弟であるサイディから送られて来た、骨と皮だけになったマテラ師の写真を見た時、正直背筋が凍り付くような思いがした。一緒にツアーで日本全国を廻っていた早川千晶さん、永松真紀さん、マサイ族のもと戦士リーダーのジャクソン・オレナレイヨ氏にも写真を見せたが、みな驚きの表情を隠せず、口々にもう長くはないかもしれないと言った。

普通ならばすぐにでも心が動いてなんとかしなければと思う所なのだが、正直のところちょっと複雑な心境だった。マテラ師からは本当に多くのことを教えてもらい、家族同然の付き合いをし、莫大な時間を一緒に過ごさせてもらうなかで、良い所も悪い所もあることを僕は知っていた。


マテラ師は僕がこれまで出逢った中で、この人は本物の天才と言える人の一人だ。


彼の太鼓の音はまるで生き物の様、音に精霊が宿り語りかけてくるような、一つ一つの音に見えない世界のなにかが宿り、大地と空気がそれに呼応して喜ぶ、そんな光景をもう何度も何度も見させてもらった。


しかしまた、私生活ではいささか腑に落ちないことも多く、特にここ数年は良くない話しばかりが耳に入って来ていたのだ。


それでもやはり家族の一員として出来ることはしなければと思い直し、ケニアに帰る早川千晶さんに治療のための数万円を託したところ、その一ヶ月後なんと持ち直したという知らせを受けた。サイディはその数万円で、マテラ師の治療の為の小さなセンゲーニャの儀式をしたそうだ。センゲーニャの太鼓が鳴り出すと、寝たきりだったマテラ師は起き上がり自ら歩いてそのそばまで行き、そして自ら太鼓を叩き出した。そこからマテラ師は食欲を取り戻し、みるみる回復していったそうだ。


サイディはマテラの心の内側の深い所にまで問いかけ、今何が必要なのかを訊ねたそうだ。するとマテラは「プングヮの儀式を行いたい。そのための助けが欲しい」と言い、そう語るマテラの動画が送られて来た。


ちょうどそのころ僕の方は冬の制作活動の最中だったが、とある仕事でケニアに行くことが決まりかけ、その時期に合わせて儀式を行うという計画が持ち上がった。そこで問題なのは儀式を行うための費用だ。かつてはみなで牛やヤギなどを持ち寄って儀式を行なっていたのだが、今ケニアはもの凄い経済成長の最中にあり、物価は高騰し、牛やヤギを買うのも、グループを招聘するにも費用がかかる。


そこで、かつてドゥルマの伝統音楽家たちと制作したCDの、ここ数年たまっていた収益をプングヮの儀式の費用にあてようという名案を早川千晶さんが提案し、それでも足りない費用はマテラ師とご縁のある方々に協力を呼びかけてみようということになった。



「プングヮというのは一体どんな儀式なのか???」


サイディに訊ねると、3日3晩センゲーニャの祭りを行い、牛やヤギを捧げて精霊達やご先祖さまたちを喜ばせ、そして精霊達やご先祖さまたちから特別な力を授かる、マテラ師の治療のための儀式だという返事が帰ってきた。


センゲーニャとは、1900年代初頭にケニアの海岸地方に暮らす民族の間で爆発的なムーブメントを巻き起こした一つの文化だ。それは、マジャスィという一人のハーフカーストによって生み出された。民族の違う父親と母親のそれぞれの田舎を行き来するうちに、2つの異なる文化は自然にマジャスィの中で融合され、新しい音楽が生み出された。マジャスィには霊的な力もあり、その音楽は広く人々に支持された。


センゲーニャのことを妬むグループも存在していた。そのグループとの決着を付けるために、ある競技が行なわれた。それは、40日間演奏をし続け、より多くの支持者を集めた方が勝ちと言う競技だった。その競技でセンゲーニャは圧倒的な勝利をおさめ、さらに支持者を増やしていった。


民族を超えて各地に広がったセンゲーニャを一つに繋ぐために、各地域に12人の旗持ちが選抜された。マジャスィと12人の旗持ちは連絡を取り合い、旗持ちは地域のリーダーとしてマジャスィのメッセージを人々に伝え、旱魃に備えたり、疫病の対策をしたりしていた。そのメッセージは歌となって祭りや儀式の場で歌われ、人々に伝えられていた。


こうしてセンゲーニャは、音楽と信仰と地域社会とが一体となって社会構造の一端を担うほどの現象となり、黄金時代を築いた。だが、時は流れてマジャスィも亡くなり、そのムーブメントも徐々に勢力を弱めていった。


マテラ師の父親は、そのセンゲーニャの旗持ちを受け継いだ者の1人だった。


さて、いよいよケニアに渡り2年ぶりに再会したマテラ師は、穏やかな笑顔で迎えてくれた。2年前は一瞬しか会わなかったので、ほぼ5年ぶりの再会とも言える。僕にとってはそもそも計画した旅ではなく、たまたまいろいろな偶然が重なりケニアまで来て儀式に参加することになった事がとても不思議で、まるで何かに仕組まれているように感じると告げると、「それは精霊の力だよ。」とマテラ師は笑いながら言った。


思ったより元気そう、でも明らかにかつてほどの活力は無く、死にかけるほどの病いで相当なエネルギーを消耗したのだろうと感じた。


〜聖地カヤダガムラ〜


儀式はカヤダガムラという聖地から始まった。


カヤというのは森の中にある聖地のことで、カヤ守りの長老たちによって代々守られて来た、その地に住む民族の信仰の中心ともいえる場所だ。聖なる樹々の根元にある祈りの場で、旱魃時の雨乞いの祈りや、開墾前の豊作祈願など大切な祈りの儀式が代々行なわれて来た。こうしたカヤが海岸地方にいくつか点在している。


この儀式に参加するために日本からやって来た仲間たちとともに3台のバンに乗り込み、大乾期の最中の乾ききった大地を激しい土ぼこりを上げながら走り続け、数時間後やっとダガムラに到着した。


われわれは、カヤダガムラに足を踏み入れた初めての外国人となった。



聖なる樹々にも個性があり、雨乞いの祈りを捧げるための樹、病気の治癒を祈願する樹など、それぞれに役割が違うそうだ。


聖樹へと繋がる森の中の小道には、それぞれ第1の門、第2の門、第3の門が置かれていて、魔物の侵入を防いでいる。


どことなく日本の神社と似ている。一人ずつ順番に聖水で手足を清め、聖木に跪いて祈りを捧げた。


祈りの場に入るには掟もあり、前夜に異性と共に寝た者は入ることが許されず、そして帰るときは決して後ろを振り返ってはいけない。



その夜、素晴らしい満月の下、精霊を降ろすためのンゴマザペポがおこなわれた。 ここで使われていたムションドという太鼓の音には独特の粘りがあり、時空がちょっと歪むような不思議な音色と小刻みに繰り返すダンスに引っ張られて、人々は次々にトランスに入っていった



その太鼓の音が鳴り響く中、センゲーニャの長老たちが次々にやって来た。遠方からはるばる12の旗持ちたちが、マテラの儀式の為に集まって来たのだ。


太鼓が組まれた地面に椰子酒が捧げられ、ゆっくりと、ゆっくりと、めくるめくセンゲーニャの儀式が始まった。


真夜中に雨が振り出した。カヤに願いが聞き入れられた証だと、誰かが言った。



〜ご先祖、初代マサイのお墓〜


カヤダガムラにはもう一つ重要な場所がある。それはマテラ師の曾祖父である初代マサイのお墓だ。


マテラの本名は「スワレ・マテラ・マサイ」。ファミリーネームがマサイと言う。


マサイというのは東アフリカでもっとも勇敢と言われている民族の名前だ。


ドゥルマ民族の間でマサイという名前がなぜ使われているのか???その理由がマテラ師の曾祖父さんにあった。


その昔、あるドゥルマ人が市場で牛を買って帰って来た。その牛はもともとマサイのもとから盗まれた牛で、その牛を取り戻すためにマサイの戦士たちがドゥルマの集落にやって来た。大抵の者はマサイを恐れて逃げ出してしまったが、一人だけ逃げ出さない者がいた。それがマテラ師の曾祖父さんだった。


当時のマサイの文化や社会システムは先進的なもので、曾祖父さんはマサイ文化に憧れていた。


そこで逃げるどころか、逆に食料や土地を提供してとても仲良くなり、マサイも彼のことが気に入って長くその地にとどまった。


そして、曾祖父さんとマサイの戦士は切っても切れない仲間の契りを交わし、曾祖父さんはマサイと呼ばれるようになったということだ。